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ぼくの絵本の考え方
絵本はこどもが、楽しくよろこんでいればいいものでしょうか?
昔の、講談社の絵本の絵本を見てみますと、
絵をみても、日本画の大家と言われるような人が、絵画として
立派に通用するような絵を描いています。
それが、当たり前だったのです。
自分が、絵の勉強をして、その成果を子供に、どうだ、これが
大人の仕事だ、とみせつけるのです。
子供だったぼくなどは、大人はすごい、と思ったものです。
ほんとうの大人が自信をもって、作っている、絵、絵本がどのくらい
あるでしょう。
本当に、絵を勉強すれば、可愛い、親しみやすい絵になるはずは
ないのです。しかし、それでは売れません、いつから、そういう
本物は売れなくなってしまったのでしょう。
子供と同じような絵を描いて平気な大人たち、それを
売れているを理由に、傲慢におしつけてきます。
売れていては、批判するほうは犬の遠吠えで、結局は
だまってみているだけで、売れなくても、本物を追求している
ひとたちがいるはずなのです。
ぼくは、そんな人たちと出遇いたいです。
このインタ−ネットのホ−ムペ−ジは、犬の遠吠えにはじつにいい
ばしょです。
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絵本に限らず、テレビも本当の大人が出ていない。
がらの悪い子供以下の連中が、テレビを征服しています。
それらが、年収何億も稼ぐのです。
声高らかに、恥ずかしいくて出来ないようなことをやると受けるのです。
お金になるのです。それが見本になって、こどもたちは見習おうとします。
都合のいいことに、そこには、努力も経験もいりません。
楽しく、楽して、軽く、明るく、よけいなことを考えず。
考えていては、出来ないことばかりです。
考えないで、楽して、何かをやる。
これはほんとうに、いいことなのでしょうか?
いま、癒しがはやっていますが、こまったものです。
だいたいが、
「無理することはない、がんばらないでいい。
人間なんだから、失敗もあるさ。
むりに努力なんかしないで、自由に生きた方が・・・」
そういって、なにもしない人間をつくっているようにみえます。
そして、なにもしない人間がぞろぞろと行列をつくっています。
ただ列ぶのです。ならんで、なにをするかというと、観るか食べるか買うのです。
この受け身な人たち、こういうひとたちが増えると都合のいい人たちがいます。
能動的な人たちです。努力して、観せ、食べさせ、買わせる人たちです。
世の中は、この二種類の人間になってきました。
しかし、買わせる人までが、楽して稼ごうというわけです。
そこには無理が生じます。無理は摩擦となり、煙が発生します。
煙の出る前に、大人たちは、大人の勤めをはたすべきです。
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絵本に話しをもどします。
ぼくは絵本のお話を考えるのですが、お話は起・承・転・結であるべきと考えています。
絵本はほんの15見開きです。コマ数でいえば15コマです。たったこれだけのコマを
計算してみせるのは、アイデアが大切です。起承転結はアイデアがなくては
なりたちません。それなのに、いまの絵本はそのことを無視した作品が多いです。
思い付きだけで作品にしているのです。そこには咀嚼がなく、したがってアイデア
がありません。それでも、平気で作者は、編集者は、読者は許すのですね。
その程度で面白い、楽しいと、それ以上は深く追求はしないのです。
そのほうが、楽です。まあ、面白ければそんな堅いこといわなくても
絵がかわいい、それだけで許すんですね。
ここでも、見た目にごまかされ、大切なものは、見えるところにはない
という、大人が子供に教えるべきことをおこたっているのです。
子供には、その判断はつきません。
大人が、本当の大人が、妥協をしない大人が、こどもの本は作るべきです。
とくに最近、おもいます。
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絵本の絵についていえば、美術がない
それこそ、子供だましの絵がまかり通っています。
驚いたことに、それが売れ、売れるからいいものという、そしてそれを
だれも疑わない。もっと驚くことは、その売れたお金で自分の美術館を
建ててしまうことです。絵を純粋に追求している者からみれば、
信じられない出来事です。
そんなに絵本は儲かるのか・・・です。
それを許す作者、編集、読者、メディア
そこには媚びと、打算と無知が渦巻いている。
絵本、童話の世界は、まさに現実の世界なのです。
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最近、とくに想うことは・・・
絵本の世界も、生きにくいなあ、ということです。
ぼくは、絵本を作る前は広告の仕事をしてました。
マスメデアの世界などは生き馬の目を抜くぐらいでないと、
とてもやっていられません。
絵本の世界にきて、これはまた広告の世界に負けないくらい
見た目のいかにも、子供を対象にした、純粋な世界かとみせかけて
どこの世界も、計算高い大人ばかりです。
こんな時、想い出させていただくのは、かつて
ぼくがお会いした中で、最高の大人、
なんでも知っていて、なんでも持っていて、決して自分を表にださず
物質にこだわらず、こころの物にこだわり、思い遣り、粋で
目先のことでなく、自分の死後まで、きちんと計算されて生きていた
子供より子供、大人より大人
ぼくはそんな人にかつて出会ったのです。
あれから25年、その人以上の大人に出会ったことがありません。
そういう大人の人に出会えない、いまのこどもたちはかわいそうです。
もっとも、今の世では、出会ってもみんなそのことに気が付かない
それほど、病んでるかもしれません。
みなさんは、ご存じないかもしれませんが瀧口修造という人です。
その人のことを、どうしても書いておかなくてはなりません。
このホームページを作ったのも、それが目的のようなものです。
物事を考えるとき、基準が必要です。
ぼくにとっての基準は瀧口修造氏です。
何がよくて、何が悪いのか、そのことを考えるとき、何か正しい基準が
必要です。
そういう正しいことを判断してくれる
大人が、先輩が、親が、友達が、マスコミが、政治家が、先生が
わたしたちの側にいてくれるでしょうか?
つづく・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・home
なかえよしをへの書き込み
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詳しく瀧口修造氏のことを知りたい方はこちらえどうぞ。
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