"But the eyes are blind.
One must look with the heart..."



"But the eyes are blind.One must look with the heart..."は
サン=テグジュペリの「星の王子さま」にでてくる言葉です。
この童話のなかでこの「目ではなにも見えないよ 心でみなくては・・・」
といういいかたがなんどもく繰り返していわれます。
「たいせつなものは目では見えない」
これは返せば、目で見えるものは大切ではない、といっていることになります。

見えるものと見えないもの。
見えるものとは何んのことでしょう。
地位や名誉や財産、学歴、知識、ブランド商品、宝石、など 物、物質は見えるものです。
これらは誰もが大切と想っているものです。
見えない物とは何んでしょう。空気、ひとの心、知恵、環境、想像力などがそうです。

般若心経に色即是空、空即是色とうたっています
これも同じことをいっています。色ある物、形ある物、見える物は空しい
空、見えないものの中にこそ見えない形の、すなわち 大切なものがあると

金子みすゞという童謡詩人の詩に「ほしとたんぽぽ」というのがあります。

あおい おそらの そこ ふかく、
うみの こいしの そのように、
よるが くるまで しずんでる、
ひるの おほしは めに みえぬ。
みえぬけれども あるんだよ、
みえぬ ものでも あるんだよ。

ここでも、見えないものでもあるんだ、見えなくても存在するんだ といっています。
見えないからといって 見逃したり、見失ったり、見損なったり、見下したり
私たちはしていないでしょうか?
そして

人間にとって一番大切なものなものは何か?
この質問を、孔子は論語で
「それは恕(じょ)である」
と弟子に答えています。
これは思い遣りのことです。
また

新約聖書のローマ人のなかに
「神は、彼らに鈍い心と、
見えない目と、
聞こえない耳とを与えて、
きょう、この日におよんでいる」
と書かれています。
私たちは目ではなにも見えてはいない訳です。
聞こえても、理解していない
そしてなにも感じない心

かつて、瀧口修造という人がいました
この人は
見えないところで存在していた人です。
今の世は、見えるところで存在しない人々ばかり。

点は存在するのに. 体積も面積もない。
面は存在してもペラペラです。
立体は3次元は目撃できても空っぽです。
そこに想像力で埋まって初めて実存するのです。

絵本のページに戻ります
その前に上のハートにふれてみて
あなたの心を見てください。
虹の心で
ありますように・・・

そして 虹の心とは何かを知りたい方は
上のハートをクリックしてみてください

クリックして画像の出ない方は下のURLをコピーしてURLアドレスのところにペーストして
キーボードのreturn(Mac)またはenter(Win)をクリックして入ってみてください
http://www.nezumikun.com/kujira/niji.html
金子みすゞ
以下はスペースみすゞコスモス
「私の好きなみすゞの詩」に掲載されたものです

 みすゞさんの「ほしとたんぽぽ」は、見え
ないものでもあるのだ、存在するのだ とい
っています。
見えないからといって 見逃したり、見失っ
たり、見損なったり、見下したりしてはいけ
ませんよ。と 
絵本を考えるのにも貴重なテーマです。
 サン=テグジュペリの「星の王子さま」も
同じ事をいっています。
「目ではなにも見えないよ 心でみなくては
・・」といういいかたが何度も繰り返しでて
きます。
「大切なものは目では見えない」
これは、いい返せば、目で見えるものは大切
ではない、といっていることになります。
 その大切でないものに 私たちは毎日いか
に振り回されていることか、テレビや新聞、
雑誌の溢れる情報、ゲームやスポーツ芸能、
テーマパークなど眼に見えるもので、それら
がないと夜も日も開けない勢いです。
 眼の前の見える世界でうつつをぬかしてい
ると大切な見えない世界に気が付かない。
 みすゞさんの詩は、それらのことを改め
て考えさせてくれます。
 見えるものと見えないもの
 
一見簡単そうなことですが、これは人間に
とって大切な想像力のことをいっています。
今の教育や世の中は想像力をなるべく使わせ
ないよう細工をしているように想えます。
思い遣りとか恥、粋、感性、礼儀、哀れみ、
気配り、いたわり、良心、思考、環境問題な
ど、これらはみんな想像力を必要とします。
形には見えにくいけれど大切なものです。
 今、世間で一番欠けているものです。
 想像力が欠けてるために欠けていることに
すら気づかない、欠けていることがあたり前
になってしまっている、見えるものに囚われ、
見えないものを見ないのか、見えないのか、
いや、見ようとしないのでしょう。その方が
楽だからでしょうか。楽、はそんなに楽しい
ことなのでしょうか?
 そういうこと全てが毎日の生活の中にまぎ
れ込んでしまい、気が付かなくり、当然のこ
とようにあたり前になって、おかしいとも不
思議とも想わなくなってしまっている。
 そのことも、みすゞさんは「ふしぎ」とい
う詩でいっています。
「わたしは ふしぎで たまらない、
 たれに きても わらってて、
 あたりまえだ、と いう ことが」と

なかえよしを


何故 世の中は今おかしくなっていくのか?