
現在、ぼくは絵本の仕事をしているのですが、絵本に主題(テーマ)があるのが少ないようにおもえます。テーマが必要かと考えたとき、売れている絵本をみると必ずしも、テーマがあるから売れているとはかぎりません、むしろテーマなどにとらわれずに自由に楽しく話しが展開し、登場するキャラクターもかわいらしければそれで本が成り立ち売りやすいのではないかと思ってしまいます。
売れるというのはくせ者で、ひとつの権力になります。「売れているから良いものだろう」というわけです。良いから売れているのならいいのですが、売れているという話題でますます売れてしまう。そこで何か大切なものを見失っていないかです。
童話「星の王子さま」のテーマは大切なものは何か?だと思いますが、そこでは「大切なものは目に見えない」といっています。これを言い直せば、目に見えるものは大切ではないということになります。目に見えるものとは物質的なものだとおもいますが、新聞、雑誌、テレビなどの情報は目に見える世界です。それらの見える情報は加工されたものです。観る人のお気に召すようにそして作り手の都合の良いように操作されているのが常です。しかし、我々はその与えられた情報をもとに毎日の生活を送っているわけです。ほとんどはあまり大切ではない情報でです。それでも売れればよい、売れるが勝ちの風潮が世間を支配しています。困ったことです。
絵本でも売れているのはきっと良い本だからだと思われるでしょう。
先日、日本でもっとも売れているといわれてるかわいいキヤラクターで人気がある絵本をはじめて読んでみました。驚きました。テーマなのかどうか分かりませんが、大切なものは物質的なものになっているのです。
そのことを編集者に指摘して、また驚きました。そんなこと考えたこともないしかわいくて良い本だというのです。
編集者は売れているということ、こどもが喜んでいること 誰もそんなテーマなんかに興味をもっていないということでOKなのでしょう。そうです、売れているものに誰もケチなんかつけられません。誰もそのことに疑問を持たず当たり前になってしまっている。意義をとなえるのはタブーなのです。この当たり前になって見過ごしてしまうことが生活の中でなんと多いことでしょう。蛇足になりますが流行の茶髪にしてもルーズなフアッションも、大人が車内で漫画を読むことも、企業の偉い人がテレビで頭を下げ謝る姿も、政治家が公約を守らないのも、街の汚れた景観もみんな当たり前になっています。
おかしいと気が付かないのではなくそれが普通になっていておかしいなんて思わないのです。おかしいとおもうほうがおかしいと言われてしまうくらいです。
かつてぼくらのこどもの時代はイソップの童話の「おおかみと少年」の話などおおかみが出たとうそばかりついている少年がほんとうにおおかみが出たときに村人が誰も助けにきてくれなかった。という話しを聞いて本当にうそをついてはいけないんだなあとこども心に素直に思ったものです。
今、このてのお話を作って出版社に見せようものなら「そんなお説教じみたのはちよっと」と編集者に敬遠されてしまいます。
そんなことよりも、楽しいか?可愛いか?分かりやすいか?そして第一は売れそうか?なのです。絵は見えます。文章も読めます。お話も理解できるでしょう。しかし、その内に秘めたテーマというのは見て読んだだけでは理解できないでしょう、考えなくてはならいからです。
読者は作品に対峙して作者の言いたいことを見抜かなくては作品は完成しないのです。
そこまで作品を堅く考えなくてもよいのではないかと言われそうです。しかし、作品の中には本当に作者が訴えたいテーマがかくされているかもしれないのです。そしてそれはやっかいなことに比喩なかたちでお話しに織り込まれている場合が多いので、一読しただけではとうてい見抜けない仕掛けになっていたりします。作者が伝えたいことは、大人の商売にはじゃまなのかもしれません。
大切なテーマは読者に考えさせるため見えないように隠されているのです。作者と読者の知恵比べなのです。宮沢賢治、金子みすゞ、サン・テグジュペリ、ルイス・キヤロル、オー・ヘンリー等ぼくの好きな作品はみんなそうです。読むのに疲れてしまいます。それが作者の思う壺なにでしょう。読者の想像力が作者のそれに敵うわけもありませんが、だからといって考えることを諦めるわけにはいきません。見えないものは普通にしていたのでは見過ごしてしまいます。
作品というのはそういうものです。
しかし、今売られている絵本の多くは作品ではなく商品が多いです。こどもに媚びた売れて何ぼのおもちゃのような商品です。
商品は見えなくてはなりません。見えて目立ってたくさん売れてこそ価値があるのです。たくさん売れるということは多くの人が認めた事になります。多くの人は楽しいから買うのでしょう。絵でいえば花の絵や風景画は売りやすいそうです。抽象画やシュルレアリスム的な絵は売りにくいようです。分かりやすく明るくくあまり考えない、癒されるのが良いというわけです。当たり前といえば当たり前です。以前あるテレビをみていたら結婚する相手の条件は、年収一千万以上、身長は180センチ以上、一流大学を出て、そのうえ赤いスポーツカーをもっていてくれたらいいなんて言ってた女性がいましたが、これらの条件はみんな見えるものです。相手の見えない未来など考えも想像もしないのでしょう。 今、すぐに目の前に見せてくれというわけです。かつては「外観ではないよ、中身だよ」なんていわれていたものですが、いつの間にか時代は「中身ではないよ、外観だよ」になってしまったようです。こういう見える世界は物質の世界です。見えない世界は精神、こころの世界です。大切なものはなにか?の結論は自ずと見えてきます。絵本などのテーマも当然見えないもの、心のありかたとか勇気とか精神的なものになるべきだと思います。
童謡詩人の金子みすゞの詩に「ほしとたんぽぽ」というのがあります。
あおい おそらの そこ ふかく、
うみの こいしの そのように、
よるが くるまで しずんでる、
ひるの おほしは めに みえぬ。
みえぬけれども あるんだよ、
みえぬ ものでも あるんだよ。
ちって すがれた たんぽぽの、
かわらの すきに、 だァまって、
はるの くるまで かくれてる、
つよい その ねは めに みえぬ。
みえぬけれども あるんだよ、
みえぬ ものでも あるんだよ。
見えないものを見るためには想像力が必要です。人間が持っている唯一の武器である考える力です。それが現代においては衰えているのではいかと思わせるような事故、事件、情報、風俗、自然破壊、等々が多すぎます。 そんなわけでこどもの絵本には主題(テーマ)が含まれるのは必要不可欠であると考える所以です。