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ぼくのデュシャン論 2
知識の豊富な評論家の方と違い、ぼくのような
ダメ人間が論ずることです。
耳の穴をほじらずに読んでください。
モナリザの絵を中心に考えますと。 いろいろと
解りやすいというのが ぼくの考え方です。
簡単にモナリザの絵の横に 他の絵を置いてみてどちらが
良いかをみれば モナリザを超えるのは至難であることに
気づきます。
昔は写真がないので、名画は画家が自分で模写をして
持ち帰りました。
モナリザがどれほど模写されたか。
どんなに模写をしても、どうしても描いた画家の個性が
特くに顔の絵にはでてしまいます。
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芸術について
芸術作品の条件があります
まず1)技術です
訓練された技術がなくては説得力に欠けます
2)知恵
知識だけでは役に立ちません
工夫するための想像力が必要です
3)シユールレアリスムであること
現実と真理を探究するものだからです
4)新しいこと
驚きは新しさのなかにだけあります
5)粋であること、品格があること
粋は心であり品格を保ちます
品格のないものをわざわざ今から
作る必要がありません
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以前モナリザの模写をずらっとならべた特集を本でみたことが
ありますが、それを見たときに思いました。
絵は自分でも気ずかない個性がでてしまうだなあと。
これだけはどんなに真似ても
本物にはかなわないということです。
やはり 自分というものを他の中でどのように
表現するか、ということにつきます。
そこでデュシャンがどのように自分を表現したか、です。
ダビンチの言う「平面にすぎないものに命を吹き込む」
は遠近法によって表現され、画家は万能でなくてはならない
作品は知的努力によって創るともいっています。
天才でなくてはダメということでしょうか?
その上で執拗な努力、宿命の努力、そして苦心をとも・・・
それでも作品が作者より長生きをするということでは
残った作品を天才が作ったものであるか?は迷宮のなかに
封じ込められてしまいます。
デュシャンの知恵。
まず前ページの1)ですが・・・
1)ダビンチが最後まで自分の手元においていた
ですが、この逆はデュシャンの扉の作品をみてみますと
最後まででなく、最後から始まっています。
死ぬまでが死んでからなのです。
死後始まる作品。そして2)の死ぬまで絵に加筆していた。
にいたっては当然自分で加筆など出来ません。
遺言によって自分の手をくださずに作品を仕上げたのです。
したがって自分の作品の仕上がりを自分で見ていない。
触ってもいないという作品です。
想像力の極致です。
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6)そして過程
以上がぼくの作品を判断する基準です
岡本太郎さんの芸術論
うまくあってはならない
きれいであってはならない
ここちよくあってはならない
は若い頃は共鳴したものですが
やはり これは芸術とはいえず本能的すぎます
人間は本能を制御するところから芸術が
生まれたのだと思います
知恵と工夫と想像力がなくては
悩みがありません
悩まずに作品を作るのは芸術でなく趣味です
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今おもえばこれは癒しの言葉ですね
あまり頑張らなくて良いというわけです
頑張らない芸術は今や大流行と思われます
頑張らずに描いた絵が持てはやされているからです |
3)の持ち運べる大きさはといいますと。持ちか運ぶどころか
セットされていて、動かすことなどもできません。
ですから4)の絵は現在多くの人がみることが出来るは不可能で
5)の同時に見ることもできません。
デュシャンのそれは、その場所でその時その位置に
ひとりが立って見る事しかできないのです。
ひとつの作品を一人ずつ列んでみるです。
みたければフィラデルフィアの美術館のその部屋のその場所に
立つ意外ないのです。
ダビンチのモナリザが6)の平面作品である
のに対して立体作品です。部屋のなかの外
07)黒い衣装を纏った女性の上半身である
08)顔が印象的、微笑みもふくめて
09)背景は遠景である
は画面の絵モナリザですが
このモナリザとデュシャンの覗き穴から覗いて見える世界
を比べてみると
衣装を纏わぬ全裸の女性の下半身
顔はなし
背景は近景
まったくモナリザとは対照的です。
おまけに動かぬダビンチの絵に対して
落ちる水とガス灯を動かしている
そして10)の生前に死後という離れ業で作品を
作り残したのです。いや、作らなかった。
自分で作らない作品。見もしない。確認もしない。
想像力のなかで完成させた作品なのです。
作品というものの虚しさを20年の沈黙の果てで
デュシャンはいいたかったのです。 |
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デュシャンの遺作の扉にある二つの覗き穴
上の二つの穴がそれです
覗いてみてください
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絵本のページにもどる
もう少し別のシュールレアリスムの世界へ
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芸術作品と趣味の作品を区別しておく必要があります
素人の人は絵は全て芸術だと思っています
芸術を値段でしか判断できない人々
今はあらゆるものが本物と偽物ごっちゃになっています
偽物のほうがなぜか世に蔓延(はびこ)り
本物は見えない隅っこにおいやられています
何故かといえば
偽物に限って目立つ場所で大声で目立つからです
偽者には本物が解らない、本物は煙たい
当たり前のことですが言っておかなくてはなりません
ところがこの見えない隅っこにというのが
芸術にとってはあんがい居心地がよいのです
目立つ作品で目立つのではなく
目立たない作品で目立つ
これが芸術の理想です
目立たない作品で目立ったとき
その作品は目立っていた作品を陳腐な作品に
してしまうでしょう
芸術などはなくても生きていけそうです
しかし
芸術のない人生は無秩序な人生といえるでしょう
一番の問題は判断がくだるのには
何世紀もかかるということです
そしてその判断はきっと
ほとんどが正しくない
それを証明も出来ないことでしょう
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